ポリコレが重視される時代になってきた

ポリコレが重視される時代になってきた

ポリコレがきた

あるライトノベルが非常に売れ、人気が出て、アニメ化されることなりました。
しかし、作者が何気なくツイッターに過去書いていた、ヘイト投稿が問題視され、アニメ化は中止、そして声優もこぞって降板と言う形になったのです。

「過去に差別発言が少しあっただけ、何も降板して中止にしなくても」

そんなふうに思うかもしれません。
しかし、今やクールジャパンのアニメは、日本国内だけのものではないのです。
これから、世界中に日本の文化が輸出されていきます。
そんななかで、特定の人種・国籍・宗教や性的指向を持つ人達を攻撃し、傷つけることは、表現として許されないことが明らかになりつつあるのではないでしょうか。

一方で、「表現の自由」というものがあります。
これはとても大切な権利で、先進国においてとくに尊重されなければなりません。
しかしこの表現の自由は、他者の権利を尊重してこそのものです。
よって、他人を傷つけてまで自分の表現を貫くというのは、暴力的な行為になってしまいます。

そのことが徐々に知られるようになってきたのではないでしょうか。
特定の民族・国籍・宗教および性的指向を揶揄することは、昔ならなんとも思われていなかったことです。
いやそれは、大多数のマジョリティがなんとも思っていなかっただけで、昔からそうした表現に傷ついていた人はいたはずです。
インターネットで個人が表現できるようになり、SNSなども発達したことで、そうしたこれまで抑圧を受けてきた人がつながり、声を上げることで、社会全体として痛みに向き合わなければならない時期が来ているのではないでしょうか。

今一度、自分が人を傷つけていないか確かめる必要があります。
とくに、昨今はこうしたポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)に敏感な時代ですから、学習する必要があるのです。

フジテレビの「保毛尾田保毛男」が、30年前は受け入れられたのに、今は受け入れられないことの意味を、ちゃんと考え直しましょう。

その表現は誰かを踏みにじった上のものではありませんか?
誰かの権利を侵害し、弱者をいたぶった上での笑いではありませんか?
心のどこかに差別心がありませんか?

ポリコレは人の心のなかまで立ち入ることはできません。
しかし、差別心を隠したまま表現活動を行っていても、いつか露呈してしまうのではないでしょうか。
では、「SNSしない」「表現しない」という選択肢は正しいのでしょうか。
うまく時代の表現ツールと付き合っていくのが大切ではないかと考えます。

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